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最終回。

2018.08.04 Sat
『了』

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脊振山

2018.07.01 Sun
せふりさん
【脊振山】
福岡県福岡市早良区と佐賀県神埼市との境に位置する標高1,054.6m、脊振山系最高峰の山である。日本三百名山の一つ。山頂には、航空自衛隊、アメリカ軍のレーダーサイト(脊振山分屯基地)がある。なお、脊振山の表記は正式には「脊」を使い、「背」ではない。脊振山は脊振千坊と称された山岳仏教の聖地で、中国へ渡航した弘法大師、伝教大師、栄西といった高僧たちも訪れたと伝えられています。この脊振山と弁財天にまつわる昔話をご紹介します。昔、脊振山の弁財天が英彦山で行われた神様たちの集いに招かれました。そして女神の弁財天は英彦山の美しいシャクナゲの花に魅了されてしまい、脊振山へ天馬に乗って帰る際にこっそり3~4本持ち帰ろうとしました。これを天狗に見つかり追いかけられて、脊振山付近まで来たところで追いつかれてシャクナゲを天狗に返したそうです。ところが逃げる途中に1本だけ落とし、それが育って麓にだけたくさん広がったのだそうです。そんなわけで弁財天のいる山頂付近には1本もありません。落とした1本は浄徳寺の「弁財天シャクナゲ」として伝えられています。



せふりじんじゃ げぐう
【脊振神社 下宮】


*所在地
佐賀県神埼市脊振町服巻1449


*御祭神
べんざいてん
・弁財天
いちきしまひめのみこと
・市杵島姫命


*御由緒
脊振山頂の上宮の神殿は、石のほこらになっており、弁財天とイチキシマヒメノミコトが御神体としてまつられています。御穀豊穣の神として肥前、筑前の農民に信仰され、現在も参拝者が絶えません。冬には寒さも厳しく、積雪も多いため、参拝が困難でした。そのため脊振山の中腹の白蛇神社の境内に下宮を建立しました。標高700mで本殿のまわりには杉林が広がり、なかには樹齢500年の杉の大木もあります。この神社の社殿は明治7年の佐賀の乱により焼失、現在の社殿はそのあと再建されたものです。


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せふりじんじゃ じょうぐう
【脊振神社 上宮】


*所在地
佐賀県神埼市脊振町服巻(脊振山頂)


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飯盛神社

2018.06.17 Sun
いいもりじんじゃ
【飯盛神社】
人生すべて良縁を祈る
むすびの神


*所在地
福岡県福岡市西区大字飯盛609


*御祭神
※主神
いざなみのみこと
・伊弉册尊
※左神
たまよりひめのみこと
・玉依比売命
※右神
ほむだわけのみこと=おうじんてのう
・品陀和気命=応神天皇
※西王子社
つくよみのみこと
・月夜見尊
※東王子社
あまてらすおおみかみ
・天照皇大御神


*御由緒
「天孫降臨の時、天之太玉命、この地を定めて伊弉册大神、外、二神を祭り、国土開発むすびを給う。神功皇后、三韓を平伏し凱旋の折、当宮の伊弉册大神と相対し、若杉山に伊弉諾大神を斎き給ふ。文徳天皇の霊夢に依り、清和天皇が貞観元年(西暦八五九)七月三日、御託宣、勅使として和気清友、下向し、飯盛山山頂に上宮を建て、伊弉册尊を祀り、中宮を建て、五十猛命を祀り、下宮を今の地にて祀る」と、下宮の神社脇の石碑にある。飯盛山を御神体として、上宮、中宮、下宮の三所が祭られていた。その起源は不明であるが、上宮跡である山頂からは永久二年(西暦一一一四)の銘を持つ瓦経が発見されており、古代にさかのぼる可能性は高い。飯盛神社は早良郡の一宮であったと考えられ、鎌倉時代には73町余りの社領を持っていたが、戦国時代の頃になると衰退し、社領も18町余りに減少し、その信仰圏・宗教的勢力圏も飯盛神社を中心とした早良平野中央部分に限定されている。本殿(市指定)は天明六年(西暦一七八六)建立。南北朝時代の宋風の石造狛犬(県指定)、飯盛神社文書(市指定)が蔵される。また、その年の豊凶を占うかゆ占は県指定の無形民俗文化財。十月九日には市指定の無形民俗文化財である流鏑馬が行われる。

公式ホームページ


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警固神社

2018.06.16 Sat
けごこうえん
【警固公園】
ソラリアターミナルビル{西鉄福岡(天神)駅)}のすぐ裏手(西側)にあり、北側にソラリアプラザ、南側に警固神社が隣接する。 入園料は無料。出入りは自由。 地下には駐輪場と駐車場(福岡中央駐車場・西日本高速道路運営)がある。 警固と名前がつくが住所は天神である。


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けごじんじゃ
【警固神社】
疾病、災厄、罪科を祓い清め、心身安泰、人生幸福の霊神として篤く崇敬されています。社名及び周辺の地名である「警固」はかつて鴻臚館にあった役所「警固所」に由来する。


*所在地
福岡県福岡市中央区天神2-2-20


*御祭神
けごだいみょうじん
◎警固大明神
かんなのびのかみ
・神直日神
おおなおびのかみ
・大直日神
やそまがつひのかみ
・八十禍津日神
<相殿>
たけつぬみのかみ
・建角身神
とよたまひめのみこと
・豊玉姫命
じんぐうこうごう
・神功皇后
おうじんてんのう
・応神天皇

警固三柱の神様は万姓の祖「伊邪那岐命」が、小戸の檍原で禊祓をされた時に御身より生りませる神様です。神直日神、大直日神は人間を本来の姿(性善説)に帰し、補足するものを補充し、善事を称揚する見直し開き直しの神です。八十禍津日神は悪事を指斥し、誤ったことや不正をよりよい方向へ導く神様です。三柱の神様は、禊祓い行法を通じて人々をその過ちや種々の罪ごとから祓除せしめる霊力を及ぼされます。


*御由緒
社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる。慶長六年(一六〇一)福岡城築城の際に下警固村(現在の福岡市中央区天神周辺)に移され、慶長十三年(一六〇八)に福岡城主黒田長政によって現在の場所に社殿が造営された。

公式ホームページ


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鷲尾愛宕神社

2018.06.01 Fri
わしおあたごじんじゃ
【鷲尾愛宕神社】
日本三大愛宕。旧社格は郷社で、現在は神社本庁の別表神社。単に「愛宕神社」とも呼ばれる。皇紀七三二年(西暦七二年、十二代景行天皇の時代) 創建され、福岡で最も古い歴史をもつ神社です。


*所在地
福岡県福岡市西区愛宕2-7-1


*御祭神
いざなぎのみこと
・伊弉諾尊
いざなみのみこと
・伊弉冉尊
ほむすびのかみ
・火産霊神
あめのおしほみみのみこと
・天忍穂耳命


*御由緒
伊耶那岐尊・天忍穂耳尊を祀る鷲尾神社(鷲尾権現)と、火産霊神・伊耶那美尊を祀る愛宕神社(愛宕権現)が合併したものである。御神徳は全国随一と言われ、一月一日に行われる「元旦祭」では、世界平和・繁栄と幸せを祈願し、「初日の出」の名所としても知られ、「初詣縁起大行列」が出来、大変な賑わいをみせます。縁結び、厄除開運、商売繁盛、家内安全、受験合格、学業成就、安産成就、交通安全、病気回復、無病息災、円満解決、鎮火成就等の願い事を叶え、古くは、禁酒、禁煙などのあらゆる禁断の神としても全国に知れ渡り、広く崇敬を集め、お月参りでは愛宕様と親しまれてきました。又、東京・京都と並ぶ日本三大愛宕として親しまれ、福岡藩主黒田忠之公が献上された開運の破魔矢と熊手は、特に名高く、桜と紅葉の名所としても毎年賑わいます。近年では、縁結び、恋愛成就や結婚、各種試験合格、車祓い、就職など若い男女や学生のお参りも増えています。

公式ホームページ


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<末社>
うがじんじゃ
【宇賀神社】
商売繁盛、家内安全、金運、世界平和、国家安泰、芸能上達、必勝など多彩な御神徳があります。


*御祭神
やまとたけるのみこと
・日本武尊
すさのおのみこと
・素戔嗚尊
うがのみたまのかみ
・宇賀魂神


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あたごやま(きゅうわしおやま)
【愛宕山(旧鷲尾山)】
愛宕山は昔、鷲尾山といわれ、鷲尾権現がまつられていた。その後、寛永十一年(西暦1634年)、筑前国二代目藩主黒田忠之が京都の愛宕権現をむかえた。正月大祭、愛宕桜祭り(四月)、ほおずき夏祭り(七月)、火祭り(十二月)などの行事は多くの人でにぎわう。そして夜景スポットとしても人気があり、境内からは博多湾を一望でき、福岡タワーを中心とした西区エリアはもちろん、能古島や志賀島まで180度のパノラマ夜景を楽しむことができます。また、愛宕山には昭和三年にケーブルカーがつくられたが、大東亜戦争が激しくなり撤去された。


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高良山

2018.04.30 Mon
こうらさん
【高良山】
耳納山地の西端に位置し、主峰である標高312.3mの毘沙門岳の他、東の本宮山、南の鷲ノ尾山、西の勢至堂山と虚空蔵山、北の吉見岳の5峰から構成される。山頂に高良山奥院、中腹に高良大社があり、南北の谷を囲むように高良山神籠石が残る。山中および山麓には祇園山古墳、礫山古墳、高隆寺跡、御井寺跡、座主の墓地、伊勢天照御祖神社、高牟礼権現、宮地嶽神社、桃青霊神社、愛宕社、琴平神社、厳島神社などが点在する。また山頂付近で高良大菩薩が経典・仏具を納めて天竺無熱池の水を流したという説話があり、ここに戒壇が設けられて高良山僧の出家灌頂が行われた。また、中世には高良大社背後の住厭城や山頂の毘沙門岳城をはじめ、吉見岳城や東光寺城などが築かれて山全体が陣所となっていた。


*所在地
福岡県久留米市



こうらさんこうごいし
【高良山神籠石】
神籠石が学会に発表されたのは、明治31年に小林庄次郎が筑後・高良山神籠石を「霊地として神聖に保たれた地を区別したもの」として紹介したのが最初である。明治33年に九州所在の神籠石を踏査した八木奬三郎が「城郭を除いては、他にこの類の大工事なかるべし」として城郭であることを主張したのに対し、喜田貞吉が神社を取り囲む聖域であると反論したことで、神籠石の性格について霊域説と城郭説との論争が展開された。昭和38年の佐賀県武雄市おつぼ山神籠石の発掘調査で、列石の背後にある版築によって築かれた土塁と、列石の前面に3m間隔で並ぶ堀立柱の痕跡が発見され、山城であることが確定的となった。


*特徴
・幾つかの谷を取り込み、山腹を取り囲む場所に立地する。
・標高200~400mの山頂から中腹にかけて数kmにわたって一辺が70cm位の切石(きりいし=岩を割って作った石)による石積みを配列(列石)し、その上部に版築による土塁を有する。列石の配置は、山頂から平野部に斜めに構築する九州型と、山頂を鉢巻状に囲む瀬戸内型がある。
・谷を通過する場所に、数段の石積みを有する城門や水門を設けている。
・列石遺構の内部に、顕著な建物遺構が見られない。
・『日本書紀』持統天皇三年(689)三月条にある「九月庚辰朔己丑 遣直廣参石上朝臣麿 直廣肆石川朝臣虫名等於筑紫 給送位記 且監新城」の「新城」との関連を指摘する意見もある。
・築造主体など建設の経緯は一切不明である。


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こうらたいしゃ
【高良大社】
式内社(名神大社)、筑後国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。古くは高良玉垂命神社、高良玉垂宮などとも呼ばれた。


*所在地
福岡県久留米市御井町1番地


*御祭神
※正殿
こうらたまたれのみこと
・高良玉垂命
※左殿
はちまんおおかみ
・八幡大神
※右殿
すみよしおおかみ
・住吉大神


*御由緒
仁徳天皇55年(367)または78年(390)鎮座、履中天皇元年(400)創建と伝えられる。『延喜式神名帳』には「筑後国三井郡 高良玉垂命神社」と記載されて名神大社に列しているほか、筑後国一宮とされた。また、祭神の高良玉垂命は国内最古の神名帳とされる『筑後国神名帳』によると、朝廷から正一位を授けられたとされる。高良山にはもともと高木神(=高御産巣日神、高牟礼神)が鎮座しており、高牟礼山(たかむれやま)と呼ばれていたが、高良玉垂命が一夜の宿として山を借りたいと申し出て、高木神が譲ったところ、玉垂命は結界を張って鎮座したとの伝説がある。山の名前についてはいつしか高牟礼から音が転じ、良字の二字をあてて「高良」山と呼ばれるようになったという説もある。現在もともとの氏神だった高木神は麓の二の鳥居の手前の高樹神社に鎮座する。なお、久留米市御井町にある久留米市役所の支所の名前「高牟礼市民センター」や、久留米市内のいくつかの小中学校の校名や校歌の歌詞に「高牟礼」の名前が残っている。現在の社殿は久留米藩第3代藩主有馬頼利の寄進によるもので、万治3年(1660)に本殿が、寛文元年(1661)に幣殿・拝殿が完成した。明治4年、近代社格制度において「高良神社」として国幣中社に列格し、大正4年に国幣大社に昇格した。

公式ホームページ


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こうらたいしゃおくみや
【高良大社奥宮】
霊水が湧く聖地で、高良大社の奥宮です。高良大社から歩いて20分ほど。諸願成就の神さまとして民間の信仰が篤く、現在も「寅」の日には多くの皆さまの参拝があります。


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水田天満宮

2018.04.28 Sat
みずたてんまんぐう
【水田天満宮】
九州二大天満宮。境内末社の恋木神社も縁結びの神社として有名。


*所在地
福岡県筑後市水田62-1


*御祭神
すがわらのみちざねこう
・菅原道真公


*御由緒
社伝によれば嘉禄2年(1226)、後堀河天皇の勅命により菅原道真の後裔で菅原氏長者(当主)菅原為長によって創建されたという。当地に太宰府天満宮の荘園で菅原氏一族の大鳥居氏が支配する「水田荘」があって、その鎮守であった。旧名は安楽寺所司神人所、老松宮など。太宰府に次ぐ九州第二の天満宮と称する。江戸時代は史料上では「水田天神」の名で記載されている。田中忠政の代とされる「田中筑後守殿家人数並知行」に『千石 水田天神領』とあり、寺社としての序列は3位。田中氏断絶後、立花氏が柳川、有馬氏が久留米に入って筑後国が分割されて以降久留米藩主・柳川藩主等の帰依を得た。立花氏時代の柳川藩の資料「延宝九酉年知行取無足扶持方共」(1681)に『同(高)五拾石 水田天神宮社領』とあり、柳河藩寺社では14位の位置付けで清水寺の下、祇園宮社の上に記載されている。

公式ホームページ


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