★所在地
福岡県福岡市早良区高取1-26-55
★御祭神
☆神功皇后(息長帯姫命)
☆応神天皇(八幡大神)
☆菟道稚郎子命(うじのわきのいらつこのみこと)
・大己貴命(おおなむちのみこと)
・稲倉魂命(うかのみたまのみこと)
・事代主命(えびすさま)・菅原神(勉学の神)・埴安神(焼物の神)等十二神の神々
★御由緒
紅葉八幡宮は文明14年(室町時代)筑前の国橋本村に御建立(橋本八幡宮)と伝えられます。江戸時代にいたり、福岡藩三代藩主黒田光之侯により西新の地(百道松原)に遷宮され歴代藩主により、篤く信仰されておりました。正面大鳥居には梶井宮親王宸筆の黄金の額が奉納され、西新の町々が門前町として発展していきます。 歴代藩主の崇敬も篤く福岡藩・黒田家の守護神として多いに賑わい、福岡に一旦事ある時はまず当宮に参拝祈祷されることが慣例となっていました。社領三万二千坪を有し荘厳なる社殿は東の筥崎、南の大宰府・西の紅葉と並び称され、旧暦九月十一日(現十月十一日秋季大祭)は藩主以下藩士庶民参拝のため登城御免(藩の休日)となっておりました。明治の世になり社領を全て返上また北筑軌道が境内を横切ることとなり町々が一望できる現在の地に遷座されました。
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公式ホームページ







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★橋本八幡宮
文明14年(1484年)に、柴田蔵人左繁信父子によって初めて建立されたもので、当時の社殿の棟札の写しが柴田家に所蔵されております。蔵人左の先祖は陸奥国(今の宮城県)柴田郡の豪族で一説には越後国(今の新潟県)柴田の人ともいい、故あって一族郎党を引き連れて、橋本にやってきました。その時、郷里の八幡宮の分霊をこの地に向かえ社殿を建てたと伝えられております。境内の北側あたりに、黒田藩主の別荘茶屋がありました。350年前の頃のことで、3代光之公は橋本の人を母として生まれ、この地で幼時をすごしました。今もこのあたりを「お茶屋の内」といいます。また、殿様の御成り所(休憩所)ができ、それから年貢(税)の取り立ての代官所と蔵ができ、そこを蔵本屋敷といっていました。光之公は産土神として八幡宮を崇敬し、寛文6年(1668年)西新町紅葉松原に立派な社殿(紅葉八幡宮)を建てて遷宮しました。橋本の人はここから遥拝しておりましたが、たっての希望で後に社殿を再建し、以来数度の改築が行われ、現在の拝殿は明治2年に、神殿と渡殿は大正7年に改築されたものです。