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警固神社

2018.06.16 Sat
けごこうえん
【警固公園】
ソラリアターミナルビル{西鉄福岡(天神)駅)}のすぐ裏手(西側)にあり、北側にソラリアプラザ、南側に警固神社が隣接する。 入園料は無料。出入りは自由。 地下には駐輪場と駐車場(福岡中央駐車場・西日本高速道路運営)がある。 警固と名前がつくが住所は天神である。


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けごじんじゃ
【警固神社】
疾病、災厄、罪科を祓い清め、心身安泰、人生幸福の霊神として篤く崇敬されています。社名及び周辺の地名である「警固」はかつて鴻臚館にあった役所「警固所」に由来する。


*所在地
福岡県福岡市中央区天神2-2-20


*御祭神
けごだいみょうじん
◎警固大明神
かんなのびのかみ
・神直日神
おおなおびのかみ
・大直日神
やそまがつひのかみ
・八十禍津日神
<相殿>
たけつぬみのかみ
・建角身神
とよたまひめのみこと
・豊玉姫命
じんぐうこうごう
・神功皇后
おうじんてんのう
・応神天皇

警固三柱の神様は万姓の祖「伊邪那岐命」が、小戸の檍原で禊祓をされた時に御身より生りませる神様です。神直日神、大直日神は人間を本来の姿(性善説)に帰し、補足するものを補充し、善事を称揚する見直し開き直しの神です。八十禍津日神は悪事を指斥し、誤ったことや不正をよりよい方向へ導く神様です。三柱の神様は、禊祓い行法を通じて人々をその過ちや種々の罪ごとから祓除せしめる霊力を及ぼされます。


*御由緒
社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる。慶長六年(一六〇一)福岡城築城の際に下警固村(現在の福岡市中央区天神周辺)に移され、慶長十三年(一六〇八)に福岡城主黒田長政によって現在の場所に社殿が造営された。

公式ホームページ


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福岡縣護國神社

2017.08.13 Sun
平和の守り神

ふくおかけんごこくじんじゃ
【福岡縣護国神社】


*所在地
福岡県福岡市中央区六本松1-1-1


*御祭神
明治維新から大東亜戦争に至るまでの約13万柱のご英霊をお祀りしています。


*御由緒
明治元年11月、福岡藩主・黒田長知が、戊辰戦争に殉じた藩士を祀るため那珂郡堅粕村(妙見招魂社)と馬出村(馬出招魂社)に招魂社を創建したのに始まる。明治39年6月27日、馬出招魂社に妙見招魂社を合祀して妙見馬出招魂社とした。昭和13年に福岡招魂社と改称し、昭和14年、招魂社の制度改正により福岡護國神社に改称した。これとは別に、県内には他に4つの護国神社があった。
・山川護國神社{三井郡山川村(現・久留米市)。明治元年、久留米藩知藩事有馬頼咸により創建}
・柳河護國神社{山門郡三橋村(現・柳川市)。明治元年、柳川藩主立花鑑寛により創建}
・八景山護國神社{京都郡祓郷村(現・みやこ町)八景山。明治元年、小倉藩主小笠原忠忱により創建}
・田川護國神社{田川郡伊田町(現・田川市)。明治2年、華族高千穂教育により創建}
昭和18年4月、現在地の福岡城址南側の練兵場跡に遷座し、上記の4つの護国神社を統合して「福岡縣護國神社」に改称、内務大臣指定護国神社となった。大東亜戦争後は正中宮と称していた。日本の主権回復後の昭和32年5月17日、元の福岡縣護國神社に復した。平成23年12月には特攻勇士の像を建立した。

公式ホームページ


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◆お盆みたままつり
当神社ではお盆の八月十三日から十六日までの四日間、みなさまからのご献灯により御祭神をはじめ先人、先祖に感謝する「お盆みたままつり」を行なっております。この間鎮守の杜には六千灯余のボンボリが夜空に輝き、夏の風物詩として多くの人々に親しまれています。今年から参道で蚤の市ナイトマーケットが同時開催されます。お楽しみに。

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光雲神社

2017.04.12 Wed
にしこうえん
【西公園】
全体が丘陵地で展望広場からは博多湾が一望できる。園内は自生のマツ・シイ・カシが茂り、またサクラ・ツツジが植栽された風致公園である。サクラは約3000本あり、日本さくら名所100選に選定される。古くから荒津山ないし荒戸山と呼ばれていた。江戸時代になり、福岡藩によって東照宮が建立されたが、明治になって廃祀されしばらくは荒れるに任されていた。明治6年の太政官布告に基づいて明治14年に公園地「荒津山公園」とされた。明治18年には園地を広げてサクラやカエデを植栽。明治33年に西公園と改めるとともに県の管理となった。大東亜戦争前までは平野国臣・加藤司書・吉岡友愛の3体のブロンズ像があったものの福岡大空襲で破壊され、平野国臣像のみが戦後に再建された。かつては海岸であった公園北側は、荒津地区として昭和45年に埋め立て竣工し、128基の貯油施設を有する石油中継基地として博多港の重要な役割の1つを担う。北側にはまた福岡都市高速が走っている。


てるもじんじゃ
【光雲神社】
旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。筑前福岡藩祖・黒田孝高(龍光院殿)と、その子で初代筑前福岡藩主・黒田長政(興雲院殿)を祀る。社名は両神の法名から光と雲の一字ずつをとったものである。境内には、福岡藩士で黒田二十四騎の一人・母里友信(太兵衛)の銅像があり、銅像下部には母里をモデルとした民謡「黒田節」の歌詞が刻まれている。また、長政が愛用した水牛の兜の像もある。摂社、堅盤神社には、四神として黒田重隆、黒田職隆、黒田忠之、厚姫(黒田継高娘、醍醐冬香許嫁)が祀られている。額は黒田家15代当主、黒田長久の揮毫。


*所在地
福岡県福岡市中央区西公園13-1


*御祭神
くろだよしたか(かんべえ、じょすい)
・黒田孝高(官兵衛、如水)
くろだながまさ
・黒田長政


*御由緒
明和6年(1766)、6代目福岡藩主の黒田継高が、長政を「武威円徳聖照権現」として福岡城二の丸、祈念櫓下に祠を創建し、祀ったのに始まる。 ついで黒田孝高を「水鏡権現」として合祀した。明治4年、廃藩置県により黒田家が東京に移転するにあたって、有志が11代藩主長溥に懇願し、福岡城内の祠堂より小烏吉祥院跡に新たに祠堂を建立した。明治8年に県社に列格した。明治42年に現在地の西公園に再移転、遷座した。この地は元々、2代福岡藩主、黒田忠之が建立した荒戸山東照宮(徳川家康を祀る東照宮を分祀したもの。筑前国続風土記に依れば各地の東照宮に劣らぬ壮麗華麗な社殿群であったと伝わる。)があった。昭和20年に福岡大空襲で全焼。社殿や黒田家所縁の文書や刀剣、御宝物などが焼失。昭和41年にコンクリート作りで再建された。


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警固神社

2017.01.27 Fri
けごじんじゃ
【警固神社】
疾病、災厄、罪科を祓い清め、心身安泰、人生幸福の霊神として篤く崇敬されています。社名及び周辺の地名である「警固」はかつて鴻臚館にあった役所「警固所」に由来する。


*所在地
福岡県福岡市中央区天神2-2-20


*御祭神
けごおおかみ
◎警固大神
かんなのびのかみ
・神直日神
おおなおびのかみ
・大直日神
やそまがつひのかみ
・八十禍津日神
<相殿>
たけつぬみのかみ
・建角身神
とよたまひめのみこと
・豊玉姫命
じんぐうこうごう
・神功皇后
おうじんてんのう
・応神天皇

警固三柱の神様は万姓の祖「伊邪那岐命」が、小戸の檍原で禊祓をされた時に御身より生りませる神様です。神直日神、大直日神は人間を本来の姿(性善説)に帰し、補足するものを補充し、善事を称揚する見直し開き直しの神です。八十禍津日神は悪事を指斥し、誤ったことや不正をよりよい方向へ導く神様です。三柱の神様は、禊祓い行法を通じて人々をその過ちや種々の罪ごとから祓除せしめる霊力を及ぼされます。


*御由緒
社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる。慶長六年(一六〇一)福岡城築城の際に下警固村(現在の福岡市中央区天神周辺)に移され、慶長十三年(一六〇八)に福岡城主黒田長政によって現在の場所に社殿が造営された。

公式ホームページ


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けごこうえん
【警固公園】

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警固神社

2016.08.30 Tue
けごじんじゃ
【警固神社】
疾病、災厄、罪科を祓い清め、心身安泰、人生幸福の霊神として篤く崇敬されています。社名及び周辺の地名である「警固」はかつて鴻臚館にあった役所「警固所」に由来する。


*所在地
福岡県福岡市中央区天神2-2-20


*御祭神
けごおおかみ
◎警固大神
かんなのびのかみ
・神直日神
おおなおびのかみ
・大直日神
やそまがつひのかみ
・八十禍津日神
<相殿>
たけつぬみのかみ
・建角身神
とよたまひめのみこと
・豊玉姫命
じんぐうこうごう
・神功皇后
おうじんてんのう
・応神天皇

警固三柱の神様は万姓の祖「伊邪那岐命」が、小戸の檍原で禊祓をされた時に御身より生りませる神様です。神直日神、大直日神は人間を本来の姿(性善説)に帰し、補足するものを補充し、善事を称揚する見直し開き直しの神です。八十禍津日神は悪事を指斥し、誤ったことや不正をよりよい方向へ導く神様です。三柱の神様は、禊祓い行法を通じて人々をその過ちや種々の罪ごとから祓除せしめる霊力を及ぼされます。


*御由緒
社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる。慶長六年(一六〇一)福岡城築城の際に下警固村(現在の福岡市中央区天神周辺)に移され、慶長十三年(一六〇八)に福岡城主黒田長政によって現在の場所に社殿が造営された。

公式ホームページ


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【警固公園/喫煙場所】

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福岡縣護國神社

2016.08.15 Mon
平和の守り神

ふくおかけんごこくじんじゃ
【福岡縣護国神社】


*所在地
福岡県福岡市中央区六本松1-1-1


*御祭神
明治維新から大東亜戦争に至るまでの約13万柱のご英霊をお祀りしています。


*御由緒
明治元年11月、福岡藩主・黒田長知が、戊辰戦争に殉じた藩士を祀るため那珂郡堅粕村(妙見招魂社)と馬出村(馬出招魂社)に招魂社を創建したのに始まる。明治39年6月27日、馬出招魂社に妙見招魂社を合祀して妙見馬出招魂社とした。昭和13年に福岡招魂社と改称し、昭和14年、招魂社の制度改正により福岡護國神社に改称した。これとは別に、県内には他に4つの護国神社があった。
・山川護國神社{三井郡山川村(現・久留米市)。明治元年、久留米藩知藩事有馬頼咸により創建}
・柳河護國神社{山門郡三橋村(現・柳川市)。明治元年、柳川藩主立花鑑寛により創建}
・八景山護國神社{京都郡祓郷村(現・みやこ町)八景山。明治元年、小倉藩主小笠原忠忱により創建}
・田川護國神社{田川郡伊田町(現・田川市)。明治2年、華族高千穂教育により創建}
昭和18年4月、現在地の福岡城址南側の練兵場跡に遷座し、上記の4つの護国神社を統合して「福岡縣護國神社」に改称、内務大臣指定護国神社となった。大東亜戦争後は正中宮と称していた。日本の主権回復後の昭和32年5月17日、元の福岡縣護國神社に復した。平成23年12月には特攻勇士の像を建立した。

公式ホームページ


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「ご先祖様に感謝しましょう」

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◆お盆みたままつり
当神社ではお盆の八月十三日から十六日までの四日間、みなさまからのご献灯により御祭神をはじめ先人、先祖に感謝する「お盆みたままつり」を行なっております。この間鎮守の杜には六千灯余のボンボリが夜空に輝き、夏の風物詩として多くの人々に親しまれています。今年から参道で蚤の市ナイトマーケットが同時開催されます。お楽しみに。

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水鏡天満宮

2016.07.19 Tue
すいきょうてんまんぐう
【水鏡天満宮】
水鏡神社。社格は村社。

*所在地
福岡県福岡市中央区天神1-15-4

*御祭神
・菅原道真公
学問の神として人口に膾炙している。

*御由緒
菅原道真は京より大宰府に左遷される道中で博多に上陸した際、今泉にある四十川(現在の薬院新川)の水面に自分の姿を映し、水面に映る自身のやつれた姿をみて嘆き悲しんだとされ、これにちなんで今泉(中央区今泉)に社殿が建造され「水鏡天神(すいきょうのてんじん)」「容見天神(すがたみのてんじん)」と呼ばれた。
江戸時代初期の慶長十七年(一六一二)福岡藩初代藩主黒田長政によって「水鏡天満宮」として福岡城の鬼門にあたる現在の地に移転された。ちなみに、「天神」とは菅原道真のことをさし、福岡市中央区の「天神」の地名は、この天満宮の移転に由来する。

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警固神社

2016.07.17 Sun
けごじんじゃ
【警固神社】
疾病、災厄、罪科を祓い清め、心身安泰、人生幸福の霊神として篤く崇敬されています。社名及び周辺の地名である「警固」はかつて鴻臚館にあった役所「警固所」に由来する。

*所在地
福岡県福岡市中央区天神2-2-20

*御祭神
けごおおかみ
◎警固大神
かんなのびのかみ
・神直日神
おおなおびのかみ
・大直日神
やそまがつひのかみ
・八十禍津日神
<相殿>
たけつぬみのかみ
・建角身神
とよたまひめのみこと
・豊玉姫命
じんぐうこうごう
・神功皇后
おうじんてんのう
・応神天皇

警固三柱の神様は万姓の祖「伊邪那岐命」が、小戸の檍原で禊祓をされた時に御身より生りませる神様です。神直日神、大直日神は人間を本来の姿(性善説)に帰し、補足するものを補充し、善事を称揚する見直し開き直しの神です。八十禍津日神は悪事を指斥し、誤ったことや不正をよりよい方向へ導く神様です。三柱の神様は、禊祓い行法を通じて人々をその過ちや種々の罪ごとから祓除せしめる霊力を及ぼされます。

*御由緒
社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる。慶長六年(一六〇一)福岡城築城の際に下警固村(現在の福岡市中央区天神周辺)に移され、慶長十三年(一六〇八)に福岡城主黒田長政によって現在の場所に社殿が造営された。

公式ホームページ

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警固神社

2016.06.08 Wed
けごじんじゃ
【警固神社】
疾病、災厄、罪科を祓い清め、心身安泰、人生幸福の霊神として篤く崇敬されています。社名及び周辺の地名である「警固」はかつて鴻臚館にあった役所「警固所」に由来する。

*所在地
福岡県福岡市中央区天神2-2-20

*御祭神
けごおおかみ
※警固大神
かんなのびのかみ
・神直日神
おおなおびのかみ
・大直日神
やそまがつひのかみ
・八十禍津日神
※相殿
たけつぬみのかみ
・建角身神
とよたまひめのみこと
・豊玉姫命
じんぐうこうごう
・神功皇后
おうじんてんのう
・応神天皇

警固三柱の神様は万姓の祖「伊邪那岐命」が、小戸の檍原で禊祓をされた時に御身より生りませる神様です。神直日神、大直日神は人間を本来の姿(性善説)に帰し、補足するものを補充し、善事を称揚する見直し開き直しの神です。八十禍津日神は悪事を指斥し、誤ったことや不正をよりよい方向へ導く神様です。三柱の神様は、禊祓い行法を通じて人々をその過ちや種々の罪ごとから祓除せしめる霊力を及ぼされます。

*御由緒
社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる。慶長六年(一六〇一)福岡城築城の際に下警固村(現在の福岡市中央区天神周辺)に移され、慶長十三年(一六〇八)に福岡城主黒田長政によって現在の場所に社殿が造営された。

公式ホームページ

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福岡縣護国神社

2016.02.11 Thu
平和の守り神
ふくおかけんごこくじんじゃ
【福岡縣護國神社】

*所在地
福岡県福岡市中央区六本松1-1-1

*御祭神
明治維新から大東亜戦争に至るまでの約13万柱のご英霊をお祀りしています。

*御由緒
明治元年11月、福岡藩主・黒田長知が、戊辰戦争に殉じた藩士を祀るため那珂郡堅粕村(妙見招魂社)と馬出村(馬出招魂社)に招魂社を創建したのに始まる。明治39年6月27日、馬出招魂社に妙見招魂社を合祀して妙見馬出招魂社とした。昭和13年に福岡招魂社と改称し、昭和14年、招魂社の制度改正により福岡護國神社に改称した。これとは別に、県内には他に4つの護国神社があった。
・山川護國神社{三井郡山川村(現・久留米市)。明治元年、久留米藩知藩事有馬頼咸により創建}
・柳河護國神社{山門郡三橋村(現・柳川市)。明治元年、柳川藩主立花鑑寛により創建}
・八景山護國神社{京都郡祓郷村(現・みやこ町)八景山。明治元年、小倉藩主小笠原忠忱により創建}
・田川護國神社{田川郡伊田町(現・田川市)。明治2年、華族高千穂教育により創建}
昭和18年4月、現在地の福岡城址南側の練兵場跡に遷座し、上記の4つの護国神社を統合して「福岡縣護國神社」に改称、内務大臣指定護国神社となった。大東亜戦争後は正中宮と称していた。日本の主権回復後の昭和32年5月17日、元の福岡縣護國神社に復した。平成23年12月には特攻勇士の像を建立した。

公式ホームページ

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◆福岡都心部の鎮守の杜
創建時に県民延べ15万人の勤労奉仕と三千本の献木で造成された人口の杜で喧噪とはかけ離れた、静寂の中にも清々しい雰囲気を醸し出しています。

◆日本屈指の大きさを誇る、木製の鳥居
境内を囲む木々とともに、もうひとつのシンボルである大鳥居は高さ13m、柱の直径160cmのヒノキ製で、台湾から切り出され、博多港に陸揚げされました。巨木のため、当時の車での運搬は不可能だったので、学校児童の綱引きとコロ方式により運ばれました。

Theme:神社 | Genre:学問・文化・芸術 |
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天神地蔵

2015.12.05 Sat
てんじんじぞう
【天神地蔵】

*所在地
福岡県福岡市中央区天神1丁目(天神交差点南東角)

*御由来
暴走族取締り中に殉職した福岡県中央警察署交通課田中政義巡査(当時28歳、警部補に昇格)を弔ったものと言われています。昭和54年9月23、田中巡査は、天神交差点において、横断歩行者を守るため暴走族のバイクを制止しようとしたところをはねられ死亡しました。地蔵は事故後間もなく、田中巡査を悼む方の善意により、天神交差点の角地に立てられたといわれており、愛着をもった方が毎日のように衣装を着替えさせるなど、地域住民から「天神地蔵」として親しまれています。

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Theme:お地蔵さま | Genre:旅行 |
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福岡縣護国神社

2015.08.15 Sat
ふくおかけんごこくじんじゃ
【福岡縣護国神社】

*所在地
福岡県福岡市中央区六本松1-1-1

*御祭神
明治維新から大東亜戦争に至るまでの約12万柱のご英霊をお祀りしています。

*御由緒
明治元年、福岡藩主の黒田長知公をはじめ、県内の旧藩主等が明治維新で国難に殉じた人々を顕彰するため、招魂社を設立し、祭祀をおこなったのが始まりです。

公式ホームページ

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◆みたままつり
当神社ではお盆の八月十三日から十六日までの四日間、みなさまからのご献灯により御祭神をはじめ先人、先祖に感謝する「お盆みたままつり」を行なっております。この間鎮守の杜には六千灯余のボンボリが夜空に輝き、夏の風物詩として多くの人々に親しまれています。
※期間中は18時より21時30分までの間、大鳥居前駐車場が無料になります。

Theme:神社 | Genre:学問・文化・芸術 |
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警固神社

2015.04.17 Fri
けごじんじゃ
【警固神社】

*所在地
福岡県福岡市中央区天神2-2-20

*御祭神
※警固大神
かんなのびのかみ
・神直日神
おおなおびのかみ
・大直日神
やそまがつひのかみ
・八十禍津日神
※相殿
たけつぬみのかみ
・建角身神
とよたまひめのみこと
・豊玉姫命
じんぐうこうごう
・神功皇后
おうじんてんのう
・応神天皇

*御由緒
社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる。慶長6年(1601)福岡城築城の際に下警固村(現在の福岡市中央区天神周辺)に移され、慶長13年(1608)に福岡城主黒田長政によって現在の場所に社殿が造営された。

公式ホームページ

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警固三柱の神様は万姓の祖「伊邪那岐命」が、小戸の檍原で禊祓をされた時に御身より生りませる神様です。

神直日神、大直日神は人間を本来の姿(性善説)に帰し、補足するものを補充し、善事を称揚する見直し開き直しの神です。八十禍津日神は悪事を指斥し、誤ったことや不正をよりよい方向へ導く神様です。三柱の神様は、禊祓い行法を通じて人々をその過ちや種々の罪ごとから祓除せしめる霊力を及ぼされます。

疾病、災厄、罪科を祓い清め、心身安泰、人生幸福の霊神として篤く崇敬されています。

社名及び周辺の地名である「警固」はかつて鴻臚館にあった役所「警固所」に由来する。

Theme:神社 | Genre:学問・文化・芸術 |
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福岡縣護国神社

2015.02.11 Wed
ふくおかけんごこくじんじゃ
【福岡縣護国神社】

*所在地
福岡県福岡市中央区六本松1-1-1

*御祭神
明治維新から大東亜戦争に至るまでの約12万柱のご英霊をお祀りしています。

*御由緒
明治元年、福岡藩主の黒田長知公をはじめ、県内の旧藩主等が明治維新で国難に殉じた人々を顕彰するため、招魂社を設立し、祭祀をおこなったのが始まりです。

公式ホームページ

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◆福岡都心部の鎮守の杜
創建時に県民延べ15万人の勤労奉仕と3000本の献木で造成された人口の杜で喧噪とはかけ離れた、静寂の中にも清々しい雰囲気を醸し出しています。

◆日本屈指の大きさを誇る、木製の鳥居
境内を囲む木々とともに、もうひとつのシンボルである大鳥居は高さ13m、柱の直径160cmのヒノキ製で、台湾から切り出され、博多港に陸揚げされました。巨木のため、当時の車での運搬は不可能だったので、学校児童の綱引きとコロ方式により運ばれました。

◆皇室の御崇敬
畏くも昭和天皇におかせられては、特別の思し召しをもって本殿遷座祭にあたって幣帛料を賜りました。昭和三十二年九州御巡幸の折、更には、臨時大祭においてはたび重なるご奉納を賜りました。
天皇皇后両陛下には、昭和四十九年皇太子同妃殿下の御時、ご参拝になり、平成七年、平成十七年の臨時大祭にあたっては幣帛料を、平成十九年福岡県行幸啓の折には幣饌料のご奉納を賜りました。また、秩父宮妃殿下、高松宮殿下のご参拝など、これまで皇室の方々からのご崇敬をいただいてまいりました。

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警固神社

2014.12.19 Fri
けごじんじゃ
【警固神社】

★所在地
福岡県福岡市中央区天神2-2-20

★御祭神
☆警固大神
かんなのびのかみ
・神直日神
おおなおびのかみ
・大直日神
やそまがつひのかみ
・八十禍津日神
☆相殿
たけつぬみのかみ
・建角身神
とよたまひめのみこと
・豊玉姫命
じんぐうこうごう
・神功皇后
おうじんてんのう
・応神天皇

★御由緒
社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる。慶長6年(1601年)福岡城築城の際に下警固村(現在の福岡市中央区天神周辺)に移され、慶長13年(1608年)に福岡城主黒田長政によって現在の場所に社殿が造営された。

公式ホームページ

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けごこうえん
【警固公園】

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◆警固公園のイルミネーション
天神の街中がキラキラと瞬くイルミネーションに包まれるクリスマスシーズン。今年は警固公園全体が舞台に!チャペル風「光のゲート」が出現し、訪れる人を光の舞台にご招待。「光と音」の演出で、“感動と驚き”を提供してくれる。「イルミネーション列車」や「光のミラーボール」も登場するので、キラキラと輝く警固公園でゆっくりと時間を楽しもう。

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天神地蔵

2014.11.22 Sat
★所在地
福岡県福岡市中央区天神1丁目(天神交差点南東角)

★御由来
暴走族取締り中に殉職した福岡県中央警察署交通課田中政義巡査(当時28歳、警部補に昇格)を弔ったものと言われています。昭和54年9月23、田中巡査は、天神交差点において、横断歩行者を守るため暴走族のバイクを制止しようとしたところをはねられ死亡しました。地蔵は事故後間もなく、田中巡査を悼む方の善意により、天神交差点の角地に立てられたといわれており、愛着をもった方が毎日のように衣装を着替えさせるなど、地域住民から「天神地蔵」として親しまれています。

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警固神社

2014.09.29 Mon
けごじんじゃ
【警固神社】

★所在地
福岡県福岡市中央区天神2-2-20

★御祭神
☆警固大神
かんなのびのかみ
・神直日神
おおなおびのかみ
・大直日神
やそまがつひのかみ
・八十禍津日神
☆相殿
たけつぬみのかみ
・建角身神
とよたまひめのみこと
・豊玉姫命
じんぐうこうごう
・神功皇后
おうじんてんのう
・応神天皇

★御由緒
社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる。慶長6年(1601年)福岡城築城の際に下警固村(現在の福岡市中央区天神周辺)に移され、慶長13年(1608年)に福岡城主黒田長政によって現在の場所に社殿が造営された。

公式ホームページ

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警固三柱の神様は万姓の祖「伊邪那岐命」が、小戸の檍原で禊祓をされた時に御身より生りませる神様です。

神直日神、大直日神は人間を本来の姿(性善説)に帰し、補足するものを補充し、善事を称揚する見直し開き直しの神です。八十禍津日神は悪事を指斥し、誤ったことや不正をよりよい方向へ導く神様です。三柱の神様は、禊祓い行法を通じて人々をその過ちや種々の罪ごとから祓除せしめる霊力を及ぼされます。

疾病、災厄、罪科を祓い清め、心身安泰、人生幸福の霊神として篤く崇敬されています。

社名及び周辺の地名である「警固」はかつて鴻臚館にあった役所「警固所」に由来する。

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鳥飼八幡宮

2014.05.21 Wed
とりかいはちまんぐう
鳥飼八幡宮

★所在地
福岡県福岡市中央区今川2-1-17

★御祭神
おうじんてんのう
・応神天皇
じんぐうこうごう
・神功皇后
たまよりひめのみこと
・玉依姫尊
さぬきことひらぐう ごうし
☆讃岐金刀比羅宮 合祀
おおものぬしのおおかみ
・大物主大神
すとくてんのう
・崇徳天皇

★御由緒
神社記、平山氏家記、鳥飼若八幡宮縁起、筑前国風続風土記、太宰管内誌その他の古記に、鳥飼八幡宮の成り立ちが記されています。
神功皇后が新羅より凱旋し姪浜に上陸され、夜になって鳥飼村平山というところにお着きになられました。この時、その村長はじめ鳥飼氏一同が夕の御膳を差し上げたところ、皇后はたいへんお喜びになり胎内の皇子(後の応神天皇)の将来を御祝いして、近臣等に自らお酒を勧め、この地にお泊りになられました。後に村長になった人物の子孫が神功皇后ゆかりの地に御社を建てて、「若八幡」と名付けて祀ったのが鳥飼八幡宮の発祥と伝えられています。
神社は代々鳥飼氏が奉祀していましたが中世以降、戦乱の時代になると香椎宮大宮司の武内氏の支族を招いて社職を司らせました。
南北朝後、醍醐天皇の時代(14世紀)に菊池武光の軍が北條英時を攻めた際にこの鳥飼の地が戦場となり、戦火によって社殿は炎上しました。神職平山式部少輔宗重御神体を持って避難しましたが、旧記、古文書、宝物類はことごとく焼け失せてしまいました。
その後再建され、祭も滞りなく執り行われていましたが、天正の時代(16世紀)御笠郡四王寺山岩屋城主の高橋紹運が率いる軍に夜襲をうけ、この不意打ちに鳥飼宮内・少輔氏勝父子が応戦しましたが、この戦いで討死しました。この際戦火によって社殿が再び焼失し、年中行事の祭典も途絶えてしまいました。
その後慶長5年(1600)の関ケ原の戦いでの軍功により黒田長政公が筑前の国主となり福岡城を築き、慶長13年(1608)に鳥飼村八幡宮御社地に長政公の別邸を建てることになり、鳥飼浜松林の中(現在の鎮座地)に仮宮を建てて平山式部丞重道が八幡宮を遷し祀りました。
その後寛永2年(1625)鳥飼氏氏子により新たに神殿を建立し、正遷宮を行いました。この拝殿は重道が自力で建立し、古宮付近の土地を「茶屋の内」または「茶屋の山」と呼ぶようになりました。鳥飼村の氏子たちは祭典が途絶えてしまっていたことを嘆き、寛永18年(1641)から再びさまざまな祭典を行うようになり、これは今日でも途絶える事なく続けられている「宮座献饌祭」といわれています。
鳥飼八幡宮に御供を祀るため、古くからの習しに従い藁の包みに入れ精進潔斎をして供進するのですが、その通路にあたる鳥飼~八幡宮に至る間の道は「御供道」と呼ばれました。現在の鳥飼3丁目埴安神社横より西町公園に至る小道がそれにあたります。
明治35年には、旧社地に福岡女子師範学校が建設される事になり、その校内に入り、大正12年5月に有志が若八幡移転跡地に「神功皇后御駐輦の跡」と記した石造の記念碑を建てました。こちらは現在の福岡市立南当仁小学校裏門前県営住宅のなかにあります。

公式ホームページ

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境内に生える樹齢を重ねた20本の保存樹の緑陰はボーイスカウトの活動拠点として、「振武館」は青少年武道の鍛錬の場として広く開放されています。
「参集殿」には土俵が常設され、大相撲九州場所がある11月には色鮮やかなノボリが林立。九重部屋の力士たちの稽古を見ようと、大勢のファンが詰め掛けます。

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水鏡天満宮

2014.04.12 Sat
すいきょうじんじゃ
水鏡神社

★所在地
福岡県福岡市中央区天神1-15-4

★御祭神
・菅原道真公
学問の神として人口に膾炙している。

★御由緒
菅原道真は京より大宰府に左遷される道中で博多に上陸した際、今泉にある四十川(現在の薬院新川)の水面に自分の姿を映し、水面に映る自身のやつれた姿をみて嘆き悲しんだとされ、これにちなんで今泉(中央区今泉)に社殿が建造され「水鏡天神(すいきょうのてんじん)」「容見天神(すがたみのてんじん)」と呼ばれた。
江戸時代初期の慶長17年(1612年)福岡藩初代藩主黒田長政によって「水鏡天満宮」として福岡城の鬼門にあたる現在の地に移転された。ちなみに、「天神」とは菅原道真のことをさし、福岡市中央区の「天神」の地名は、この天満宮の移転に由来する。

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高く立ち並ぶビルや、多くの人や車が行き交う道路に囲まれながらも、この神社は凛と佇んでいます。忙しい仕事の合間などに訪れると、不思議と心穏やかになれるでしょう。ちなみに、南側の鳥居に掲げられた「天満宮」の文字は、福岡県出身の元総理大臣・広田弘毅が書いたもので、北側の鳥居の「天満宮」の文字は、福岡藩最後の藩主・黒田長知の子・長成(ながしげ)が書いたものです。


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警固神社

2013.12.30 Mon
けごじんじゃ
警固神社

★所在地
福岡県福岡市中央区天神2-2-20

★御祭神
☆警固大神
・神直日神(かんなのびのかみ)
・大直日神(おおなおびのかみ)
・八十禍津日神(やそまがつひのかみ)
☆相殿
・建角身神(たけつぬみのかみ)
・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
・神功皇后(じんぐうこうごう)
・応神天皇(おうじんてんのう)

★御由緒
社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる。慶長6年(1601年)福岡城築城の際に下警固村(現在の福岡市中央区天神周辺)に移され、慶長13年(1608年)に福岡城主黒田長政によって現在の場所に社殿が造営された。

公式ホームページ

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<警固公園>
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警固三柱の神様は万姓の祖「伊邪那岐命」が、小戸の檍原で禊祓をされた時に御身より生りませる神様です。

神直日神、大直日神は人間を本来の姿(性善説)に帰し、補足するものを補充し、善事を称揚する見直し開き直しの神です。八十禍津日神は悪事を指斥し、誤ったことや不正をよりよい方向へ導く神様です。三柱の神様は、禊祓い行法を通じて人々をその過ちや種々の罪ごとから祓除せしめる霊力を及ぼされます。

疾病、災厄、罪科を祓い清め、心身安泰、人生幸福の霊神として篤く崇敬されています。

社名及び周辺の地名である『警固』はかつて鴻臚館にあった役所『警固所』に由来する。

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若宮神社

2013.11.04 Mon
国体道路に面した場所に建立されている。

★所在地
福岡県福岡市中央区今泉1-19-17

★御祭神
・豊玉姫命(子どもの神様)
彦火々出見尊(神話のやまさちひこ)の鵜葺草葺不合尊の御母、神武天皇の御祖母にあたられ、美しいお姫様として知られています。

★御由緒
聖武天皇の時代(724~749年)、博多の海に内外の船舶が盛んに出入りしていたころ、海上安全と土地の守り神として萬町(現在の舞鶴1丁目付近)に若宮神社はお祭りされたと伝えられています。その後、正徳3年(1713)に今の地に鎮座されました。

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★御神徳
昔から、商売繁盛ならびに安産、育児の守護神として広く崇敬されてきました。また、延宝6年(1678)にこの辺りで火災があった際に、若宮神社の社殿や周辺の家々は延焼を免れたことから、火難、水難、厄除けの神様としても知られるようになりました。

★槐の木(子安の木)の由来
神功皇后は三韓御親征の後、蚊田の里(現在の宇美八幡宮あたり)に産殿をお作りになり槐の枝を折り取りすがられ無事安産されたことから、安産に幸ある木(子安の木)と称されるようになりました。当社境内にも槐の木があったことから安産や子供の守り神として広く崇敬されています。


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警固神社

2013.09.28 Sat
警固神社/けご神社

★所在地
福岡県福岡市中央区天神2-2-20

★御祭神
☆警固大神
・神直日神(かんなのびのかみ)
・大直日神(おおなおびのかみ)
・八十禍津日神(やそまがつひのかみ)
☆相殿
・建角身神(たけつぬみのかみ)
・豊玉姫命(とよたまひめのみこと)
・神功皇后(じんぐうこうごう)
・応神天皇(おうじんてんのう)

★御由緒
社伝では神功皇后による三韓征伐の際、皇后の船団を守護し勝利に導いた警固大神を福崎(現在の福岡城本丸周辺)の地に祀ったのが始まりとされる。慶長6年(1601年)福岡城築城の際に下警固村(現在の福岡市中央区天神周辺)に移され、慶長13年(1608年)に福岡城主黒田長政によって現在の場所に社殿が造営された。

公式ホームページ

<御祭神・由緒>
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警固三柱の神様は万姓の祖「伊邪那岐命」が、小戸の檍原で禊祓をされた時に御身より生りませる神様です。

神直日神、大直日神は人間を本来の姿(性善説)に帰し、補足するものを補充し、善事を称揚する見直し開き直しの神です。八十禍津日神は悪事を指斥し、誤ったことや不正をよりよい方向へ導く神様です。三柱の神様は、禊祓い行法を通じて人々をその過ちや種々の罪ごとから祓除せしめる霊力を及ぼされます。

疾病、災厄、罪科を祓い清め、心身安泰、人生幸福の霊神として篤く崇敬されています。

社名及び周辺の地名である『警固』はかつて鴻臚館にあった役所『警固所』に由来する。


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天神地蔵

2013.09.28 Sat
★所在地
福岡県福岡市中央区天神1丁目(天神交差点南東角)

★御由来
暴走族取締り中に殉職した福岡県中央警察署交通課田中政義巡査(当時28歳、警部補に昇格)を弔ったものと言われています。昭和54年9月23、田中巡査は、天神交差点において、横断歩行者を守るため暴走族のバイクを制止しようとしたところをはねられ死亡しました。地蔵は事故後間もなく、田中巡査を悼む方の善意により、天神交差点の角地に立てられたといわれており、愛着をもった方が毎日のように衣装を着替えさせるなど、地域住民から「天神地蔵」として親しまれています。

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笹丘の地蔵尊

2013.07.31 Wed
★所在地
福岡県福岡市中央区笹丘1-8

墓地にある六地蔵尊

<御由来>
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立帰天満宮

2013.06.15 Sat
立帰天満宮/たちかえりてんまんぐう

★所在地
福岡県福岡市中央区(西公園)

<御祭神・由緒>
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光雲神社

2013.06.15 Sat
光雲神社/てるもじんじゃ

★所在地
福岡県福岡市中央区(西公園)

★御祭神
・黒田氏初代黒田孝高(龍光院殿、如水、官兵衛)
・初代福岡藩主黒田長政(興雲院殿)

★御由緒
福岡城本丸には、1768年に初代藩主長政を祭るために建設された聖照権現社があり、後に水鏡権現として官兵衛を合わせて祭りました。1871年の廃藩置県により黒田家が東京に移転するにあたって、有志が11代藩主長溥に懇願し、福岡城内の祠堂より小烏吉祥院跡(中央区天神付近)に移転し、1909年に現在地の西公園(東照宮跡地)に光雲神社として移りました。社名の光雲は、官兵衛の法名と長政の法名から一字ずつ取ったものです。

<御祭神・由緒>
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荒戸山には官兵衛の孫にあたる第2代藩主忠之が1652年に勧請した東照宮がありました。『続風土記』には、「神殿・拝殿は美麗で玉垣、瑞籬(みずがき)、神厨(みくりや)、廻廊(かいろう)を備え、石階高し」と記されています。ご神体であった「木造東照権現坐像」は明治の廃仏毀釈の際に東照宮が廃社となったため警固神社に移されたものです。2006年度に市文化財(彫刻)に指定されました。

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小烏神社

2013.06.15 Sat
小烏神社/こがらすじんじゃ

★所在地
福岡市中央区警固3-11-56

<御祭神・由緒>
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天神地蔵

2013.06.09 Sun
★所在地
福岡県福岡市中央区天神1丁目
(天神交差点南東角)

★御由来
暴走族取締り中に殉職した福岡県中央警察署交通課田中政義巡査(当時28歳、警部補に昇格)を弔ったものと言われています。
昭和54年9月23、田中巡査は、天神交差点において、横断歩行者を守るため暴走族のバイクを制止しようとしたところをはねられ死亡しました。
地蔵は事故後間もなく、田中巡査を悼む方の善意により、天神交差点の角地に立てられたといわれており、愛着をもった方が毎日のように衣装を着替えさせるなど、地域住民から「天神地蔵」として親しまれています。

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警固神社

2013.06.09 Sun
警固神社/けごじんじゃ

★所在地
福岡県福岡市中央区天神2-2-20

公式ホームページ

<御祭神・由緒>
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古事記・日本書記記述の「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」で誕生された神々及び歴代天皇皇后を祭神とする神社が福岡市から糸島市にかけて存在する。
「伊弉諾尊/いざなぎのみこと」鷲尾愛宕神社。「伊弉冉尊/いざなみのみこと」飯盛神社、鷲尾愛宕神社。「天照大御神/あまてらすおおみかみ」小戸大神宮。「住吉三神/すみよしさんじん」姪浜住吉神社。「志賀三神/しかさんじん」志賀海神社、姪浜住吉神社。「警固三神/けごさんじん」警固神社。「天忍穂耳命/あみのおしほみみ」鷲尾愛宕神社。「栲幡千々姫命/たくはたちぢひめのみこと」小戸大神宮。「瓊々杵尊/ににぎのみこと」雷神社。「木花開耶姫このはなのさくやびめ」細石神社。「彦火火出見尊/ひこほほでみのみこと」高祖神社。「豊玉姫/とよたまひめ」志登神社。「彦波瀲武盧茲草葺不合尊/ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと」産宮神社。「神武天皇/じんむてんのう」可也神社。

九州王朝説

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水鏡天満宮

2013.06.09 Sun
水鏡神社/水鏡天満宮/すいきょうてんまんぐう

★所在地
福岡県福岡市中央区天神1-15-4

<御祭神・由緒>
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福岡縣護国神社

2013.03.16 Sat
★所在地
福岡県福岡市中央区六本松1-1-1

★御祭神
明治維新から大東亜戦争に至るまでの約12万柱のご英霊をお祀りしています。

★御由緒
明治元年、福岡藩主の黒田長知公をはじめ、県内の旧藩主等が明治維新で国難に殉じた人々を顕彰するため、招魂社を設立し、祭祀をおこなったのが始まりです。

公式ホームページ

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<福岡都心部の鎮守の杜>
創建時に県民延べ15万人の勤労奉仕と3000本の献木で造成された人口の杜で喧噪とはかけ離れた、静寂の中にも清々しい雰囲気を醸し出しています。

<日本屈指の大きさを誇る、木製の鳥居>
境内を囲む木々とともに、もうひとつのシンボルである大鳥居は高さ13m、柱の直径160cmのヒノキ製で、台湾から切り出され、博多港に陸揚げされました。巨木のため、当時の車での運搬は不可能だったので、学校児童の綱引きとコロ方式により運ばれました。

<皇室の御崇敬>
畏くも昭和天皇におかせられては、特別の思し召しをもって本殿遷座祭にあたって幣帛料を賜りました。昭和三十二年九州御巡幸の折、更には、臨時大祭においてはたび重なるご奉納を賜りました。
天皇皇后両陛下には、昭和四十九年皇太子同妃殿下の御時、ご参拝になり、平成七年、平成十七年の臨時大祭にあたっては幣帛料を、平成十九年福岡県行幸啓の折には幣饌料のご奉納を賜りました。また、秩父宮妃殿下、高松宮殿下のご参拝など、これまで皇室の方々からのご崇敬をいただいてまいりました。

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鳥飼八幡宮

2013.03.16 Sat
とりかいはちまんぐう
鳥飼八幡宮

★所在地
福岡県福岡市中央区今川2-1-17

★御祭神
おうじんてんのう
・応神天皇
じんぐうこうごう
・神功皇后
たまよりひめのみこと
・玉依姫尊
さぬきことひらぐう ごうし
☆讃岐金刀比羅宮 合祀
おおものぬしのおおかみ
・大物主大神
すとくてんのう
・崇徳天皇

★御由緒
神社記、平山氏家記、鳥飼若八幡宮縁起、筑前国風続風土記、太宰管内誌その他の古記に、鳥飼八幡宮の成り立ちが記されています。
神功皇后が新羅より凱旋し姪浜に上陸され、夜になって鳥飼村平山というところにお着きになられました。この時、その村長はじめ鳥飼氏一同が夕の御膳を差し上げたところ、皇后はたいへんお喜びになり胎内の皇子(後の応神天皇)の将来を御祝いして、近臣等に自らお酒を勧め、この地にお泊りになられました。後に村長になった人物の子孫が神功皇后ゆかりの地に御社を建てて、「若八幡」と名付けて祀ったのが鳥飼八幡宮の発祥と伝えられています。
神社は代々鳥飼氏が奉祀していましたが中世以降、戦乱の時代になると香椎宮大宮司の武内氏の支族を招いて社職を司らせました。
南北朝後、醍醐天皇の時代(14世紀)に菊池武光の軍が北條英時を攻めた際にこの鳥飼の地が戦場となり、戦火によって社殿は炎上しました。神職平山式部少輔宗重御神体を持って避難しましたが、旧記、古文書、宝物類はことごとく焼け失せてしまいました。
その後再建され、祭も滞りなく執り行われていましたが、天正の時代(16世紀)御笠郡四王寺山岩屋城主の高橋紹運が率いる軍に夜襲をうけ、この不意打ちに鳥飼宮内・少輔氏勝父子が応戦しましたが、この戦いで討死しました。この際戦火によって社殿が再び焼失し、年中行事の祭典も途絶えてしまいました。
その後慶長5年(1600)の関ケ原の戦いでの軍功により黒田長政公が筑前の国主となり福岡城を築き、慶長13年(1608)に鳥飼村八幡宮御社地に長政公の別邸を建てることになり、鳥飼浜松林の中(現在の鎮座地)に仮宮を建てて平山式部丞重道が八幡宮を遷し祀りました。
その後寛永2年(1625)鳥飼氏氏子により新たに神殿を建立し、正遷宮を行いました。この拝殿は重道が自力で建立し、古宮付近の土地を「茶屋の内」または「茶屋の山」と呼ぶようになりました。鳥飼村の氏子たちは祭典が途絶えてしまっていたことを嘆き、寛永18年(1641)から再びさまざまな祭典を行うようになり、これは今日でも途絶える事なく続けられている「宮座献饌祭」といわれています。
鳥飼八幡宮に御供を祀るため、古くからの習しに従い藁の包みに入れ精進潔斎をして供進するのですが、その通路にあたる鳥飼~八幡宮に至る間の道は「御供道」と呼ばれました。現在の鳥飼3丁目埴安神社横より西町公園に至る小道がそれにあたります。
明治35年には、旧社地に福岡女子師範学校が建設される事になり、その校内に入り、大正12年5月に有志が若八幡移転跡地に「神功皇后御駐輦の跡」と記した石造の記念碑を建てました。こちらは現在の福岡市立南当仁小学校裏門前県営住宅のなかにあります。

公式ホームページ

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境内に生える樹齢を重ねた20本の保存樹の緑陰はボーイスカウトの活動拠点として、「振武館」は青少年武道の鍛錬の場として広く開放されています。
「参集殿」には土俵が常設され、大相撲九州場所がある11月には色鮮やかなノボリが林立。九重部屋の力士たちの稽古を見ようと、大勢のファンが詰め掛けます。

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