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天岩戸神社

2015.07.12 Sun
あまのいわとじんじゃ
【天岩戸神社】
岩戸川を挟んで東本宮と西本宮がある。社名は西本宮が拝する天岩戸に由来する。昭和45年に合併し、現在のごとく天岩戸神社東西両本宮を称すようになったが、それ以前の旧称は西本宮が「天磐戸神社」、東本宮は「氏神社」であった。 東本宮はかつて「天磐戸大神宮」とも呼ばれ、この名は今でも西本宮社務所で授与される神札の銘「天岩戸大神宮」に残り、また地元年配者を中心に通称として用いられている。旧社格は村社で、神社本庁の別表神社。

*所在地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字岩戸1073-1

*御祭神
<西本宮>
おおひるめのみこと
・大日孁尊=天照大神の別名。
岩戸川対岸の断崖中腹にある「天岩戸」と呼ばれる岩窟(跡)を神体とし、この岩窟は日本神話に登場する天岩屋であると伝える。また、同じく西本宮の御旅所には配祀神である天鈿女命・手力男命・大年神・素盞嗚尊・日子穗穗手見命・豊玉毘売命、菅原道真公の7柱を祀っている。
<東本宮>
あまてらすすめおおみかみ
・天照皇大神=天照大神の別名で皇祖神であることを示す名。
かつてイザナギノミコト・イザナミノミコトを祀っていたとする史料もある。社殿背後の御神水の側には「大神宮」の祠がある。

*御由緒
東西両本宮は元来は独立した別の社であった。ともに皇祖神天照大神を祀るとはいえ、創祀以来皇室や朝廷からではなく、在地住民からの信仰を主としている。
<西本宮>
天岩戸神社西本宮は創祀の時代を詳かにしないものの、岩窟(天岩戸)を神体とするのは、古くからの信仰形態を示すものであるとされる。社伝によれば、瓊瓊杵尊が天岩戸の故事を偲び、その古跡に鎮祭したのが起源であり、弘仁3年(812)に大神惟基によって再興されたが、戦国時代にたびたび焼失したという。元禄4年(1691)にまとめられた寺社明細記録『高千穂旧記』には「天ノ岩戸」についての記述の中に「拝殿有、四方見通に建たり、前ニ鳥居有」とあるのみで神社としては記載されておらず、簡素な遥拝所としての造りであったと考えられる。その後棟札によると、宝永4年(1707)に荒廃した社地を整地し、文政4年(1821)には延岡藩主の援助で社殿を再建したという。 天保8年(1837)にこの地を訪れた松浦武四郎が紀行文(『西海雑志』)に記した「道の傍に二間に四間の遥拝所あり」がそれを指していると考えられる。天保12年(1841)にこの地を訪れた豊後の医師賀来飛霞はその紀行文(『南遊日記』)に、「殿アリ扁シテ(扁額に)天磐戸ト書ス」と記している。『日向地誌』でも、明治4年(1871)に「天磐戸神社」と改称されるまでの旧称は「天磐戸」(神社とは書かれていない)としている。明治6年(1873)村社に列し、同30年に社殿の造営が行われた。また明治24年に旧岩戸村の村社神楽尾神社、同42年に旧山裏村の杉圍(杉ケ越)神社や旧岩戸村の年神社など、明治以降近在の村社や無格社を合祀している。
<東本宮>
同東本宮も創祀時代不明で、昌泰年間(898~901)の古記録に、思兼神が天岩戸より出御した天照皇大神に、東本宮の地に造営した社殿への鎮座を願ったのに創まるという。その後の由緒も詳らかにしえないが、前述の元禄4年(1691)『高千穂旧記』の寺社一覧表の中に「岩社、岩神」(岩神はこの付近の地名)とあり、これが当時の東本宮を指すと考えられる。参道に現存する石灯籠には天保11年(1840)と刻まれている。前述の賀来飛霞は、たまたま行き当たった秋祭りの様子とともに「土人ニ問ヘバ天磐戸大明神ナリト、石磴(石段)ヲ登リテ、茅檐ノ祠アリ。祠ノ中ニ二神輿アリ。」などと記している(『南遊日記』)。『日向地誌』によると、明治4年(1871)に「氏神社」と改称されるまでの旧称は「氏社」であった。明治6年に村社に列した。
両社ともに戦後は神社本庁に所属し、昭和45年に合併、現在は別表神社に指定されている。現在、社務所は西本宮に置かれ、参拝客の多くが訪れるのも西本宮である。しかしながら歴史的に見た場合、前述の通り西本宮は神社というより天岩戸を拝むための遥拝所としての性格が強かったことは明らかであり、信仰の中心はむしろ天照皇大神を祀って来た東本宮であったと考えられる。

公式ホームページ

<西本宮>

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◆御利益
諸願成就。


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荒立神社

2015.07.12 Sun
あらたてじんじゃ
【荒立神社】

*所在地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井667

*御祭神
さるたひこのみこと
・猿田彦命
あめのうずめのみこと
・天鈿女命

*御由緒
社伝に因れば、猿田彦命の先導で当地に天孫降臨が行われ、猿田彦命は当地で降臨に供奉した天鈿女命と結婚して当地に住む事となった。しかし、この結婚が急であったために切り出したばかりの荒木で宮居を建てなければならないとの言い伝えが残った。後世この2柱を祀る神社を創祀する際にその故事に因んで社殿を白木造とした事から「荒建宮」と称したと伝える。「立」字は「建」を変えたもの。なお、猿田彦命は縄文人で天鈿女命は渡来人である弥生人であり、この2柱の婚姻を国際結婚と見る説もある。
明治になって村社に列し、明治末(20世紀初頭)の神社合祀政策により高千穂神社に合祀され廃社とされるが、後に復社されて現在に至る。なお、当神社に伝わる神像4躯は宮崎県の有形文化財(美術工芸品)に指定されているが、高千穂神社に合祀された際に同神社へ移された為に、同神社の所蔵となっている。

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◆御利益
夫婦円満、縁結び、所願成就。
猿田彦命は交通安全、教育の神。
天鈿女命は歌や舞、芸能の神として有名。


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槵触神社

2015.07.12 Sun
くしふるじんじゃ
【槵触神社】
国史見在社「高智保皇神(高智保神)」の論社で、旧社格は県社。
古くは「櫛ひ大明神」や「くしふる大明神」と称せられ、また「二上(ふたかみ)神社」、「高智保皇神社」とも呼ばれており、明治4年(1871)に「二上神社」を正式社名としたが、同43年に「槵触神社」に復した。なお、「槵」が難解な漢字であることから、平仮名で「くしふる神社」と書かれることが多い。

*所在地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井713

*御祭神
ににぎのみこと
・瓊々杵尊
※相殿
あめのこやねのみこと
・天児屋根命
あめのふとだまのみこと
・天太玉命
ふつぬしのみこと
・経津主命
たけみかづちのみこと
・武甕槌命

◆本来は槵触山そのものを神体とするが、現在は本殿を構えて瓊々杵尊を主祭神として祀っている。なお、当神社が国史に見える「高智保神(高智保皇神)」とすれば、中世のものではあるが、『八幡宇佐宮御託宣集』巻2に、「高知尾(明神)」は神武天皇の御子である神八井耳命の別名で、「阿蘇(大明神)」の兄神であるとしたり、『平家物語』巻8緒環段に、豊後緒方氏の祖神を「日向国にあがめられ給へる高知尾の明神」として、その神体は「大蛇」であるとするなどの異伝がある。

*御由緒
創祀の事情は不詳であるが、槵触山の中腹に鎮座し同山を神体山とするため、長く本殿を持たなかったという。槵触山は日本神話の天孫降臨の行われた聖蹟と伝え、『日本書紀』神代巻下の天孫降臨段第1の一書に見える「高千穂の槵触之峯」や、第2の一書の「槵日高千穂之峯」、『古事記』の「筑紫の日向の高千穂之久士布流多気」、『日向国風土記』逸文(『釈日本紀』所引)の「高千穂の二上の峯」に比定され、古来霧島山とともに天孫降臨の有力な比定地とされ、霧島神社と並び称された。また、当神社が国史に見える「高智保神(高智保皇神)」であるとすれば神階の授与が行われたことになるが、『延喜式神名帳』への記載は見ないままとなったことになる。
古来より高千穂神社の春祭りに対して秋祭りを行うなど、同社と密接な関係を持つとともに、社殿を持たぬながらも高千穂郷八十八社の1つに数えられて旧三田井村々民から崇められて来たが、社伝によれば、三田井の領主であった三田井氏(豊後大神氏の後裔)の滅亡とともに荒廃したと伝える。元禄7年(1694)に社殿建立を熱望した高千穂神社宮司が延岡藩主三浦明敬の援助を仰ぎ、高千穂18郷の郷民の協力の下、初めて社殿が建立された。また、藩主内藤氏も祭礼に代参を派遣して神事料を奉納するなどしている。
国史見在社に比定されたため、明治4年に県社に列せられ、戦後は神社本庁に属している。

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◆御利益
諸願成就。
天児屋根命、天太玉命は歌の神。
経津主命、武甕槌命は武道の神。


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高千穂神社

2015.07.12 Sun
たかちほじんじゃ
【高千穂神社】
国史見在社「高智保皇神(高智保神)」の有力な論社であるが、近代社格制度上は村社にとどまった。現在は神社本庁の別表神社となっている。
古来「十社(じっしゃ)大明神」や「十社宮」などと称されて来たが、明治4年(1871)に「三田井神社」と改称、更に同28年(1895)現社名に改称した。

*所在地
宮崎県西臼杵郡高千穂町大字三田井1037

*御祭神
※一之御殿
たかちほすめがみ
◎高千穂皇神
ににぎのみこと・このはなさくやひめ
・瓊瓊杵尊と木花開耶姫命
ひこほほでみのみこと・とよたまひめのみこと
・彦火火出見尊と豊玉姫命
うがやふきあえずのみこと・たまよりひめのみこと
・鵜鵝草葦不合尊と玉依姫命
※二之御殿
じゅっしゃだいみょうじん
◎十社大明神
みけいりののみこと・うのめひめのみこと
・三毛入野命と鵜目姫命
みこたろうのみこと
・御子太郎命
じろうのみこと
・二郎命
さぶろうのみこと
・三郎命
うねみのみこと
・畝見命
てるののみこと
・照野命
おおとのみこと
・大戸命
れいしゃのみこと
・霊社命
あさらべのみこと
・浅良部命

*御由緒
高千穂は日向三代の宮である高千穂宮が置かれた地と伝えられるが、天孫降臨伝承と在地固有の信仰が融合し、更に熊野修験も加わるなど複雑な信仰を包含する。また、古来より当神社の春祭りに対して槵触神社では秋祭りを行うなど、同神社とは密接な関係を持つものでもあった。
社伝によれば、三毛入野命が神籬を建てて祖神の日向三代とその配偶神を祀ったのに創まり、三毛入野命の子孫が長らく奉仕して、後に三毛入野命他の十社大明神を配祀、垂仁天皇の時代に初めて社殿を創建したと伝える。当神社が国史に見える「高智保神(高智保皇神)」であるとすれば朝廷からの神階授与があったことになるが、『延喜式神名帳』の記載はない。また、天慶年間(938~47)に豊後国から大神惟基の長子政次(高知尾太郎政次)が当地に入り高知尾(高千穂)氏を興したが、社伝によると同氏は当神社を高千穂18郷にわたる88社(高千穂八十八社)の総社と位置づけて崇めたといい、以後も当神社に深く関わるようになったと見られている。
中世になると土持氏の勢力が入り、建久8年(1197)の『建久図田帳』では妻万宮(現西都市の都萬神社)の社領中に「高知尾社八町」、地頭土持宣綱とあって、当神社は妻万宮の管轄下にあったようであるが、同じ頃高千穂氏によって紀州の熊野信仰がもたらされたようで、その後高知尾庄と呼ばれるようになった当神社の社領は、建長6年(1254)4月26日の関東下知状案を見ると熊野山領とされており、地頭職には高知尾政重が就き、鎌倉時代中期までは熊野山領に組み込まれたようである。また社伝によれば、源頼朝が天下泰平祈願のために畠山重忠を代参に派遣して多くの神宝を奉納、この時重忠によって現存する重要文化財の鉄製鋳造狛犬1対が献納され、境内にある「秩父杉」(高千穂町指定天然記念物)も重忠自らが植えたものといい、文永・弘安の役には敵国降伏祈願のために勅使が差遣されたという。鎌倉時代中頃からは高知尾庄に北条氏被官の安東氏の勢力が進出して来る一方で、熊野別当の後胤を称す浦上氏も預所職を務めるなど当神社を含めた一帯の支配を強めるようになった。また、鎌倉時代末から高知尾氏に代わり島津氏が地頭となる一方、高知尾氏も三田井氏を称して三田井郷の地頭職を所持するなど、この頃から社領や神事を巡る相論が頻出しだし、南北朝時代にはこれに加えて南朝方に与する阿蘇氏の勢力も進出、社伝によれば征西将軍懐良親王による祈願のための神宝が奉納されたというが、以後阿蘇氏支配の下、「高千穂郷総鎮守」として崇められた。
近世には寛永年間(1624~44)に延岡藩主有馬氏から200石の寄進を受け、元禄10年(1697)に同藩主三浦明敬による親拝、内藤氏も例祭に代参を差遣し神事料を寄進するなど、歴代延岡藩主から崇敬を受けた。
明治4年7月に延岡県の県社、11月に美々津県の県社とされたが、宮崎県に改組されると同6年(1873)に村社とされた。戦後は神社本庁に参加し、昭和46年(1971)に別表神社となった。

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◆御利益
縁結び・夫婦円満・諸願成就・農産業・厄祓。

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