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高屋山上陵

2016.08.21 Sun
神代三山陵

たかやのやまのえのみささぎ、たかやのやまのうえのみささぎ
【高屋山上陵】
ホオリの陵。可愛山陵、吾平山上陵とともに神代三山陵の一つ。明治政府により明治7年、霧島山山麓を「高屋山上陵」と治定した。杉林の中にある楕円形の円墳で、表面は多数の石に覆われている。面積は約53,000平方mあり、周囲には石垣が巡らされている。現在、宮内庁書陵部が管轄している。


*所在地
鹿児島県霧島市溝辺町麓


*御祭神
あまつひこひこほほでみのみこと
・天津日高彦火火出見尊(ホオリ=山幸彦=神武天皇の祖父)


*御由緒
『古事記』、『日本書紀』や『延喜式』に記録がある。当時すでに所在が明確に知られていなかったらしい。近世、所在について種々の検討が行なわれ、江戸時代後期の地誌『三国名勝図会』では内之浦(現在の肝付町)がその所在地とされたが、明治元年に三島通庸らが、明治3年に田中頼庸らが、明治6年に樺山資雄がそれぞれ調査し、明治7年7月10日、当時の政府によって溝辺(現在の霧島市)の陵がホオリの陵と定められ整備された。これは古事記の「高千穂山の西」という記述に基づいて「高千穂山」を高千穂峰とみなし、高千穂峰の西に「鷹大明神社」があったことから、「鷹」を「高屋」の「タカ」と結びつけたものと考えられている。
明治5年5月23日に明治天皇が、明治40年10月28日に当時の皇太子の代理として侍従の有馬純文がそれぞれ御参拝遊ばされる。大正9年3月30日には当時の皇太子が東郷平八郎を伴って御参拝遊ばされる。昭和15年に皇紀2600年記念事業の一つとして東側からの参道が整備された。昭和37年5月には当時の皇太子と皇太子妃が御参拝遊ばされる。


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