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高良山

2016.11.17 Thu
こうらさん
【高良山】
耳納山地の西端に位置し、主峰である標高312.3mの毘沙門岳の他、東の本宮山、南の鷲ノ尾山、西の勢至堂山と虚空蔵山、北の吉見岳の5峰から構成される。山頂に高良山奥院、中腹に高良大社があり、南北の谷を囲むように高良山神籠石が残る。山中および山麓には祇園山古墳、礫山古墳、高隆寺跡、御井寺跡、座主の墓地、伊勢天照御祖神社、高牟礼権現、宮地嶽神社、桃青霊神社、愛宕社、琴平神社、厳島神社などが点在する。また山頂付近で高良大菩薩が経典・仏具を納めて天竺無熱池の水を流したという説話があり、ここに戒壇が設けられて高良山僧の出家灌頂が行われた。また、中世には高良大社背後の住厭城や山頂の毘沙門岳城をはじめ、吉見岳城や東光寺城などが築かれて山全体が陣所となっていた。

*所在地
福岡県久留米市


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こうらさんこうごいし
【高良山神籠石】
神籠石が学会に発表されたのは、明治31年に小林庄次郎が筑後・高良山神籠石を「霊地として神聖に保たれた地を区別したもの」として紹介したのが最初である。明治33年に九州所在の神籠石を踏査した八木奬三郎が「城郭を除いては、他にこの類の大工事なかるべし」として城郭であることを主張したのに対し、喜田貞吉が神社を取り囲む聖域であると反論したことで、神籠石の性格について霊域説と城郭説との論争が展開された。昭和38年の佐賀県武雄市おつぼ山神籠石の発掘調査で、列石の背後にある版築によって築かれた土塁と、列石の前面に3m間隔で並ぶ堀立柱の痕跡が発見され、山城であることが確定的となった。

*特徴
・幾つかの谷を取り込み、山腹を取り囲む場所に立地する。
・標高200~400mの山頂から中腹にかけて数kmにわたって一辺が70cm位の切石(きりいし=岩を割って作った石)による石積みを配列(列石)し、その上部に版築による土塁を有する。列石の配置は、山頂から平野部に斜めに構築する九州型と、山頂を鉢巻状に囲む瀬戸内型がある。
・谷を通過する場所に、数段の石積みを有する城門や水門を設けている。
・列石遺構の内部に、顕著な建物遺構が見られない。
・『日本書紀』持統天皇三年(689)三月条にある「九月庚辰朔己丑 遣直廣参石上朝臣麿 直廣肆石川朝臣虫名等於筑紫 給送位記 且監新城」の「新城」との関連を指摘する意見もある。
・築造主体など建設の経緯は一切不明である。

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しきないいせあまてらすみおやじんじゃ
【式内伊勢天照御祖神社】

*御祭神
あまてらすおおみかみ
・天照大神

*御由緒
伊勢の神さまのお宮です。桓武天皇の延暦三年(784)、伊勢国より遷座されました。筑後における最も由緒正しい皇大神宮(内宮)の分祀です。古くは現・御井小学校「伊勢の井」付近にありましたが、江戸時代この地に移転しました。

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こうらたいしゃ
【高良大社】
式内社(名神大社)、筑後国一宮。旧社格は国幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。古くは高良玉垂命神社、高良玉垂宮などとも呼ばれた。

*所在地
福岡県久留米市御井町1番地

*御祭神
※正殿
こうらたまたれのみこと
・高良玉垂命
※左殿
はちまんおおかみ
・八幡大神
※右殿
すみよしおおかみ
・住吉大神

*御由緒
仁徳天皇55年(367)または78年(390)鎮座、履中天皇元年(400)創建と伝えられる。『延喜式神名帳』には「筑後国三井郡 高良玉垂命神社」と記載されて名神大社に列しているほか、筑後国一宮とされた。また、祭神の高良玉垂命は国内最古の神名帳とされる『筑後国神名帳』によると、朝廷から正一位を授けられたとされる。高良山にはもともと高木神(=高御産巣日神、高牟礼神)が鎮座しており、高牟礼山(たかむれやま)と呼ばれていたが、高良玉垂命が一夜の宿として山を借りたいと申し出て、高木神が譲ったところ、玉垂命は結界を張って鎮座したとの伝説がある。山の名前についてはいつしか高牟礼から音が転じ、良字の二字をあてて「高良」山と呼ばれるようになったという説もある。現在もともとの氏神だった高木神は麓の二の鳥居の手前の高樹神社に鎮座する。なお、久留米市御井町にある久留米市役所の支所の名前「高牟礼市民センター」や、久留米市内のいくつかの小中学校の校名や校歌の歌詞に「高牟礼」の名前が残っている。現在の社殿は久留米藩第3代藩主有馬頼利の寄進によるもので、万治3年(1660)に本殿が、寛文元年(1661)に幣殿・拝殿が完成した。明治4年、近代社格制度において「高良神社」として国幣中社に列格し、大正4年に国幣大社に昇格した。

公式ホームページ

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こうらたいしゃおくみや
【高良大社奥宮】
霊水が湧く聖地で、高良大社の奥宮です。高良大社から歩いて20分ほど。諸願成就の神さまとして民間の信仰が篤く、現在も「寅」の日には多くの皆さまの参拝があります。

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こうらさんこうごいし
【高良山神籠石】
高良大社本殿の背後から山裾まで約1,500mにわたって、1,300個の巨石が神域を取り囲むようにつらなっています。このような列石は、福岡・佐賀・山口県で8ヵ所確認されており、古代の山城跡とも、神域の標示ともいわれ、わが国古代遺跡の中で最も壮大なものです。

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